2015年12月31日

12月を振り返ると

とうとう大晦日。すっかり間が空いてしまった。
今回は再開に当たっての助走という位置づけとし、来年から心機一転(でもたぶん内容は変わらず)更新していこうと思っている。

こんなに休んでしまうと、当人すら前回何を書いたのかあまり覚えていないのでこの記事を書く前に読み返してみた。
そうそう、退院直後に入院中のことを書いたのだったっけ。
ならば今回もこの度の休止期間中のこと、中でも最大の出来事であった胆嚢の摘出手術とその手術受けるための入院生活を中心に書いてみよう。

前回の退院時に説明を受けて、オレはてっきり今月の7日に胆嚢切除のために再入院するものだと思い込んでいたのだが、それは早合点で手術は早くても年明け1月の半ば、ヘタをすると2月に入ってからと退院後の外来で内科医から告げられた。手術室の予約を取るにそれくらいかかるのだそうだ。どうせ胆嚢を切除しなければならないのならとっとと済ませ、食いたいものを食える体に1日でも早く戻りたいと考えていたので、これにはめまいを覚えるほどのショックを受けた。あと1ヶ月以上も待たなくてはならないのだ。
それでも出来ないものは仕方がないので、仕事先など関係各所に手術は年明けになると連絡し、日々質素な食事の生活を送っていた。

その後、術前の検査を受け(要は体が手術に耐えられるかどうか、もちろん問題なくパス)、今月半ばに担当医局が内科から外科にシフトし、新たに主治医となる外科医と面談。手術の説明を受け日程を決めることとなった。
手術日の希望を聞かれたので出来るだけ早くに受けたいと答えたところ、なんと基督聖誕祭にたまたま空いている枠が1つあると仰る。その日を逃すとやはり1月末まで空いていない様でもあったので即座にその日に決めた。オレには何よりのプレゼントだ。

ところが手術日が決まったのはいいが、手術の前日には入院しなければならないのでもう1週間しかない。入院期間は4泊5日の予定と短期だが急に決まっことだしなにより忙しい年の瀬。仕事のスケジュールを立て直すも、予定になかった新しい仕事は入るは、予定していた仕事は中々入らないは、クレームは来るはでもうしっちゃかめっちゃかになってしまった。それでもなんとか入院前日の夜遅くには全ての仕事を済ませ、当日の午前中に散髪をしていざ病院へ。これから手術を受ける人間の言葉としてはちょっと変だが、体調は万全である。
もっとも入院したものの手術当日まではすることがほぼないのでその日はベッドに横になって久しぶりにゆっくり過ごす。ただし夕食は重湯で、21時以降は絶飲食だ。

手術当日。
シャワーを浴びたらば、臍の掃除&臍周りの毛を剃られる(もちろん看護師さん)。妙に小っ恥ずかしくてくすぐったい。今回は腹腔鏡手術を予定していて、その場合臍を切り開いて器具を差し入れるらしいので臍とその周りを清潔にすることが重要らしい。
それが済んだらグリセリン浣腸。これも看護師さんにしてもらわねばならない。浣腸なんて44、5年ぶりなのではなかろうか。こんな恥ずかしい思いをするなんて…と思ったものだが、こんなのはまだ序の口だった。

そして次は点滴。以後管付きの生活が数日続くことになる。

体の外も中も清潔になったところで手術用の腹帯を巻き術着に着替え、おむつを履く。おむつなんて物心付く前の話しなわけで当然装着した記憶はない。しかも当時は布だったと思うので紙おむつはたぶん生まれて初めてだ。
さらに、いわゆる「エコノミー症候群」を予防するため、ふくらはぎを圧迫するストッキングを装着。手術中は当然体を動かすことが出来ないわけで、その代りにふくらはぎを圧迫して血の巡りをよくするらしい。そして最後に筋肉注射。麻酔を効きやすくする薬剤とのことで、これで準備完了。特に手術に対する緊張なないようだ。

そのままベッドの上で小一時間待ったところで手術室から準備完了の連絡が入った。これでいよいよ手術室へ移動するのだが、先の注射のせいで徒歩での移動はよろけるなど危険を伴うらしくベッドごと運ばれた。
初めて目にする手術室。白と銀色の世界だ。仰向けなので視界が限られる。まず目に入ったのは手術台上部の無影灯。テレビなどで見知っていたそれと比べると妙に薄べったくちゃちな感じがしたがどうやらLEDの様だ。それにはまだ灯が入っていないが全体的にかなり明るい。
手術台を取り囲むように並んでいるスタッフは6、7人といったところか。ベッドが手術台に横付けされて体を水平移動。背中が冷たい。手術台はかなり狭く体を載せるともう幅に余裕が全く残っていなかった。

この後すぐに全身麻酔をかけられたはずだがその記憶は全くない。麻酔医に呼びかけられ意識が戻るまでの時間の感覚は全くなかった。もちろん既に手術は終わっていた。オレの性格としては自分が受けている手術は是非とも生で見たいタイプなのでそれが適わなかったのはとてもザンネンではあったが全身麻酔じゃあきらめるより仕方がない。呼びかけ(右手にぎゅっと力を入れろなど)に正しく対応できることを麻酔医が確認したところで人工呼吸器が外された。ただ外すと言ってもマスクを外す様な簡単なものではなく、気管にまで差し入れられていた管をずりずりっと引っ張り出すのでそれなりの抵抗があったはずだが、幸いまだ麻酔から覚めきっていなかったので痛みや違和感があったかどうかは記憶にない。

人工呼吸器が装着されていたのは、全身麻酔にかかると呼吸が止まってしまうからだそうだ。これは事前に説明を受けていた。さらにあそこには尿を排出する管が装着されている。もちろんこれも事前に説明を受けていたが、この管は誰が差し込んだのだろうかと考えると赤面するくらい恥ずかしい。しかもこの管、全身麻酔から覚めてもしばらくは尿意の感覚がないことがあるらしく(要はお漏らし防止のため)なおしばらく付けたままにしなければならない。これが妙に痛かった。

術後は個室に移された。一晩そこで過ごすことになる。
しばらく経ってから主治医が部屋にやって来て一応手術結果の説明をしてくれたと思うのだが、まだ頭がハッキリしていなかったせいもありあまり良く覚えていない。どうやら術前の想定通りとは行かず予定よりも1時間ほど長引いたらしいのだが大きな問題はなかったようだ。別の医師が「石が4つ出ました。1つは砕けてしまいましたけど」と言いながら小ぶりのプラスチックボトルを振る。石はボトルの中でカラカラと軽い音を立てた。
内科医からは石は無いと聞いていた(と少なくともオレは思っていた)のでそれにはさすがにビックリ。しかもそれなりの大きさのものだったらしく「これじゃ痛かったでしょう」とも言っていた。確かに痛かったよ。
その石を間近で見せてもらったがどれも1cm以上の大きさがある。握り拳の半分程度の大きさの胆嚢にこんなのが入っていたのかと思うと自分でもゾッとした。小学校だったか中学校だったかの理科で、カエルの受精卵が細胞分裂していく過程を習ったがその途中の「桑実胚」と見た目が良く似ている。後で瓶から出してみたが極々軽い。形は異なるが大体の大きさといい重さといいちょうど椿の種くらいだ。
一応写真をアップしておくが、見てもあまり気持ちの良いものではないので、見たい方だけどうぞ。石の写真はこちら

後は寝て過ごす。傷が疼く。これも事前に言われていたが呼吸器を抜いたせいで痰が絡まる。痰を出すために咳き込むと思わずうめき声が出てしまうほど傷が痛む。恐る恐るする咳では一発で痰が出ないものだから何度も咳が出るのには参った。この咳には退院後まで悩まされることになる。
看護師からは寝返りを打つように促されたので痛みをこらえながら何度か体の向きをかえる。麻酔に掛かったせいか眠気はあまりなく、時々ウトウトしながら夜が明けるのをじっと待つ。ふくらはぎにはストッキングの上からマッサージ器が巻かれていて、空気圧を利用してこれが周期的に揉んでくれる。ガッコンガッコンと動作音が少々うるさくはあったが大変気持ちがいい。

朝を迎えると心電図の電極や鼻に着けていた酸素のチューブ、マッサージ器を外し、紙おむつを脱がされそして尿の管を抜かれる。単なる細い管なのかと思っていたのだが抜かれたそれは結構複雑な形をしたものだった。こんなすごいものが差し込まれていたのかと妙に感心してしまった。仕上げにパンツも履かせてもらう。自分でしたいがもうお任せするより術がない…
手伝ってもらいながら手術着を脱いで自前の寝巻に着替えが済むと元の病室まで歩いて移動。立ち上がる時はかなり痛かったが、いったん立ってしまえばさほどの事でもない。それでも前かがみになりながらそろりそろりと足を引きずるようにして歩く。

その後の経過はほぼ順調で、昼にはもう重湯が出て夜は五分粥。積極的に歩くよう指示が出ていたので、そろりソロソロと歩いてすら1周5分とかからない病棟内をグルグル回ったが4周もすると飽きてしまったのでその日のリハビリは止めてベッドに戻る。痛み止めが切れると身動きした時などにズキンと傷に響くがそれも徐々に小さくなっていくのが分る。

手術から3日目。
朝の検温で37.7℃。傷のせいだろう。検温に来た看護師は特に心配はしていないようだった。
朝食は全粥になったので栄養点滴の必要が無くなり、最後にペニシリン系の抗生剤を打って点滴自体が終了。48時間刺しっぱなしだった針を抜いてもらう。残る管は体液を排出するためにわき腹から体内に差し込まれているものだけだが、これも医師の回診の折に抜き取られた。これでまた身一つで動けるようになったので、まだまだ傷が痛いがトイレ一つにしてもずっと楽になった。

ホントはまだ痛み止めが欲しかったし頼めば持ってきてくれるのだが、痛み止めはたいてい解熱作用もある。となると服用してしまうとたぶん熱も下がってしまい、そうなると熱が引いた原因が曖昧になってしまうので自主的に服用を堪えることに決めた。痰が絡んで咳が出るのがちょっとした恐怖になる。去痰剤を頼んでみたがそれは結局最後までもらえなかった。

昼の検温は37.8℃。持ってきてもらったアイスノンが気持ちいい。熱のせいか少々食欲がなかったがなんといっても初の並食。メニューは辛みのないカレーかあるいはハヤシライスか良く分からないものだったが(たぶん熱のせいで味が分らなかったのだと思う)、完食する。
熱があるので積極的なリハビリはせずにトイレ以外はベッドの上でじっとして過ごす。
夜になっても熱は下がらず37.8℃。夕食は焼き魚だったがこれも残さず食べた。それより熱が下がらなくても明日は予定通り退院出来るのかちょっと不安になる。

そして翌日。朝の検温は36.7℃と平温。これなら問題なく退院できるだろう。この日の回診には主治医のほかにちょっと偉いセンセーらしき人もいた。傷口のチェックが済むと主治医はそのセンセーに何事かごちょごちょごちょっと耳打ち。するとそのセンセーは「それは珍しいねぇー」とつぶやきながら病室を去っていく。おいおい、ちょっと待て。患者がその話を理解できるかどうかは別として、目の前で内緒話しをするなんて、気になってしょうがないじゃないか。と呼び止めようかと思ったが、退院後の外来診察時に詳しく聴けばいいかと思い直し寸前で堪える。看護師は患者の気持ちを良く分かっているので患者の目の前で耳打ちすることなど目にした事がないが、その点医師は案外無神経なんだよな。

なにはともあれ予定通り退院することができた。これで心おきなく年を越せる準備が出来たことは感謝に堪えない。

と、ざっと振り返るとこんな感じ。実はこの稿、29日に書き始めてその日のうちにアップするつもりだったのだがダラダラと長くなってしまったので中断し、今は実家でその続きを書いている。
傷跡の痛みは今はもうほとんどなく、咳き込んでもちょっと顔をしかめる程度だ。

個人的にはやや波乱の年の瀬だったが皆さんはいかがであったろうか。
新年は5日くらいからブログの更新を再開するつもりである。

それでは読者の皆さま、良いお年をお迎えください。
すぱ九郎拝


posted by すぱ九郎 at 15:48| Comment(2) | 日常
この記事へのコメント
少し遅れましたが、あけましておめでとうございます。
昨年はコメントはほとんどできませんでしたが
、ブログはRSS登録しておりますので、ずっと拝読させていただいておりました。

突然のご病気により、食べたいものも食べられない不自由な生活のご苦労、心中お察しいたします。

年末の手術も大変だったことと思いますが、また以前のお身体に戻る第一歩。
一日も早く、今まで通りおいしいものを好きなように召し上がる生活ができますよう、お祈りいたしております。

特に県北の「知る人ぞ知る名店」情報、今後とも期待しておりますねっ!!

今年もよろしくお願い致しますm(_ _)m
Posted by ごっつ at 2016年01月05日 09:58
ごっつさん、明けましておめでとうございます。
手術の傷も今ではほとんど気にならなくなり、のんびりと正月を過ごすことが出来ました。
これで何を食べても痛くなることはない体に戻ったのですが、脂肪肝を指摘され、管理栄養士からカロリー制限を言い渡されておりますので、全くの今まで通りとはいきそうにありません。

ところでごっつさんのブログが新しくなってからコメント入れようとしたら、Google Plusだかなんだかの登録を強制されてしまったので断念したのですが…
おっと、今確認したら任意になっていますね。これならコメントできますよ。

ということで今年もよろしくお願いいたします。


Posted by すぱ九郎 at 2016年01月05日 10:37
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